月曜日の朝、満員電車に揺られながら、あなたは何を考えているだろうか。
「今月も給料日まであと2週間か…」「ボーナスカットされたらどうしよう」「このまま定年まで働き続けるのか…」
そんな不安を抱えながら、なぜかあなたは「自分で稼ぐ」という選択肢を選ばない。いや、選べない。
その理由を、あなたは「スキルがない」「資金がない」「時間がない」と説明するだろう。でも、それは本当の理由じゃない。
本当の理由は、あなたが小学校3年生の時に受けた道徳の授業にある。
「分け合うこと」を美徳だと教わった子供たちの末路
覚えているだろうか。
クラスで誰かがお菓子を持ってきたとき、先生は必ずこう言った。「みんなで分けなさい」と。一人だけ多く取ろうものなら、「ずるい」「意地汚い」と非難された。
算数のテストで100点を取って喜んでいると、「自慢するんじゃありません」と窘められた。
学芸会の配役は「平等に」決められ、リレーの選手は「チャンスを与えるため」にローテーションされた。
あの時、あなたの脳に深く刻み込まれたメッセージがある。
「目立つな。他人より多く取るな。謙虚であれ。」
そして2025年、35歳になったあなたは、クライアントに見積もりを出す時、なぜか「もう少し安くしたほうが…」と遠慮してしまう。副業の価格を決める時、「こんなに貰っていいのかな」と罪悪感を感じてしまう。
おかしいと思わないか?
給料が少ないことには文句を言うくせに、自分で価格を決める場面では急に「遠慮深い良い人」になってしまう。これは矛盾ではなく、長年の洗脳の結果なのだ。
あなたの時給は1,000円じゃない。本当は5,000円だ。
ここで残酷な事実を教えよう。
あなたが時給1,000円で働いているとしたら、あなたの労働が生み出している価値は、最低でも時給5,000円だ。下手をすれば1万円かもしれない。
「え、そんなわけない」と思うだろう?
じゃあ聞くが、あなたの会社は慈善事業をしているのか?違うだろう。あなたに1,000円払って、それ以上の価値を生み出しているから雇っているんだ。
差額の4,000円は、どこに消えたのか?
あなたの上司、その上の部長、役員、そして株主のポケットに入っている。
これを「搾取だ!」と怒るのは簡単だ。でも、それは間違っている。なぜなら、彼らは「仕組みを作った対価」として、その差額を受け取る権利があるからだ。
あなたに必要なのは、怒ることではない。同じことをすることだ。
雇われる側から、雇う側へ
想像してみてほしい。
もしあなたが風俗店で働いているとしよう(これは極端な例だが、本質は変わらない)。一晩5万円稼いでも、手元に残るのは2万円。残りは店の取り分だ。
「店に搾取されてる!」と怒る人もいるだろう。
でも、ちょっと待て。
その店は誰が立ち上げたんだ?客を集める広告費は誰が払ってる?トラブルが起きた時、誰が矢面に立つ?法的リスクを背負っているのは誰だ?
そう、オーナーだ。
オーナーは体を使わずに、頭を使っている。開業資金を集め、風営法を学び、集客方法を考え、女の子を雇うノウハウを身につけ、トラブル対応のマニュアルを作り、リピーターが増える仕組みを設計している。
彼らは寝ている時も、食事している時も、そのことを考え続けている。
これが「脳に汗をかく労働」だ。
そして、あなたが真に稼ぎたいなら、この側に回らなければならない。
見えない苦労は、苦労じゃないと思われる社会
2025年の今、リモートワークが当たり前になった。
すると面白い現象が起きた。
オフィスで毎日夜遅くまで残業していた人が、在宅になった途端「サボっているんじゃないか」と疑われるようになったのだ。
なぜか?
「見える苦労」しか、苦労だと認識されないからだ。
道路工事で汗を流す作業員は「頑張っている」と称賛される。ビルの窓を拭く清掃員は「大変な仕事だ」と同情される。
でも、その道路工事の効率を3倍にする工程を考えた人は?その清掃会社と継続契約を結ぶための営業戦略を練った人は?
「楽してるよね」と思われる。
なぜなら、彼らは汗をかいていないからだ。スーツを着て、カフェでMacを開き、資料を作っている。一見、「遊んでいる」ように見える。
でも、その頭の中では、常に試行錯誤が繰り返されている。
考え続ける苦痛を、誰も理解しない
肉体労働には「終わり」がある。
荷物を運び終えたら、その日の仕事は終わりだ。家に帰って風呂に入れば、完全に仕事から解放される。
でも、頭脳労働には終わりがない。
「どうすればもっと効率化できるか?」「この問題の本質は何か?」「競合に勝つための戦略は?」
こういった問いは、24時間あなたに纏わりつく。
シャワーを浴びている時、ふとアイデアが降ってくる。夜中の3時に目が覚めて、「そうか、あれが問題だったんだ!」と気づく。
これは拷問に近い。
でも、外から見れば「何もしていない」ように見える。だから、
「あいつは楽して稼いでいる」
と言われる。
価格を下げることが、業界全体を殺す
さて、ここで2025年の日本を見てみよう。
クリエイターの単価は下がり続けている。ライターは1文字0.5円、デザイナーはロゴ作成5,000円、動画編集は1本3,000円…
なぜこんなことになったのか?
「私は安くしてでも仕事を取りたい」と思った善良な人たちのせいだ。
あなたは優しい。だから「高い価格を請求して、お客さんに負担をかけたくない」と思う。その気持ちは分かる。
でも、その「優しさ」が何を生んでいるか、考えたことがあるか?
あなたが安売りすると、同業者全員が死ぬ
想像してほしい。
美容師のAさんは、カット5,000円で丁寧な接客を提供している。10年の経験と、高額なセミナーで学んだ技術がある。
そこに新人のBさんが「カット2,000円!」と始める。
客は流れる。当然だ。「髪切るだけなら安い方がいい」と思うから。
するとAさんは、値下げせざるを得なくなる。でも、5,000円から3,500円に下げたところで、2,000円には勝てない。
結果、Aさんは廃業。Bさんも2,000円では食えず、結局バイトを始める。
誰も幸せにならない。
これが「安売り地獄」の正体だ。
そして、あなたが「遠慮して安くする」という「善意」が、この地獄を作っているのだ。
高い価格は、真剣な客を連れてくる
ここで逆説的な真理を教えよう。
価格を上げると、クレームが減る。
「え、逆じゃない?」と思うだろう。でも、事実だ。
なぜなら、高い金額を払う人は、本気で成果を求めているから。
1万円のセミナーに来る人は、「なんとなく」来ている。だから文句を言う。「思っていたのと違う」「時間の無駄だった」と。
でも、30万円のコンサルティングを申し込む人は違う。彼らは真剣だ。事前に徹底的に調べ、覚悟を決めて申し込む。そして、あなたの言うことを真剣に実行する。
結果、成果が出る。感謝される。リピートされる。紹介が生まれる。
これが、高価格戦略の本当の価値だ。
アメリカ式の大量生産は、もう通用しない
2025年の今、日本の人口は1億2000万人を切っている。2050年には1億人を下回る予測だ。
この状況で、「もっと安く、もっと大量に」というアメリカ式の戦略は、まだ有効だろうか?
答えはノーだ。
ヨーロッパ式思考:「どうすれば、もっと高く売れるか?」
1,000円の商品がそこそこ売れたとしよう。
アメリカ式なら「よし、800円にしてもっと売ろう」と考える。大量生産して原価を下げ、シェアを奪う。
でも、ヨーロッパ式は違う。
「どうすれば、これが1,500円でも売れるようになるか?」と考える。
- パッケージをもっとオシャレにする?
- ストーリーを加える?
- 限定生産にして希少価値を出す?
- 購入者だけのコミュニティを作る?
つまり、体力じゃなく、頭脳で勝負する。
ハンドバッグを考えてみよう。
ユニクロのバッグは3,000円で、エルメスのバッグは300万円だ。材料費の差は、せいぜい10倍程度だろう。では、100倍の価格差はどこから来るのか?
ストーリー、ブランド、希少性、そして「これを持っている自分」という感情――これらはすべて、誰かが頭を使って創り出したものだ。
あなたがこれから生き残りたいなら、どちらの戦略を取るべきか、もう分かるはずだ。
ボランティアより、ビジネスの方が人を救う
「世の中の役に立ちたいから、ボランティアをしています」
こう言う人に、私はいつも聞く。
「それ、何人救えてる?」
感情的満足と、実際の効果は別物だ
ボランティアは素晴らしい。誰も否定しない。
でも、冷静に考えてみてほしい。
あなたが週末に3時間、炊き出しのボランティアをしたとしよう。素晴らしいことだ。でも、その3時間で救えるのは、せいぜい数十人だ。
一方、ビジネスで成功した人はどうか?
例えば、あなたがオンライン教育の事業を立ち上げ、年商1億円を稼いだとしよう。そこから5人の社員を雇用し、法人税を1,500万円納める。
その税金は、何に使われる?
社会保障、教育、インフラ、災害支援…つまり、数千人、いや数万人の生活を間接的に支えている。
しかも、あなたが雇った5人の社員は、その給料で家族を養い、子供を学校に行かせ、地域経済を回している。
どちらが「世の中の役に立っている」か?
もちろん、両方大事だ。でも、優先順位を間違えるな。
まず稼げ。そして、余った金でボランティアをすればいい。
その方が、結果的に多くの人を救える。
「お金の亡者」と呼ばれることへの覚悟
ここまで読んで、あなたは思っただろう。
「でも、ガツガツ稼いだら、周りから『金の亡者』って言われるじゃん」
そう、言われる。確実に言われる。
貧乏人は、あなたの成功を許さない
これは残酷な真実だが、受け入れなければならない。
あなたが年収300万円から年収1,000万円になった時、一番批判してくるのは、昔のあなたと同じ年収300万円の友人たちだ。
「あいつ、変わっちゃったよな」「金儲けしか考えてない」「昔はもっと面白かったのに」
こういう声が聞こえてくる。
でも、よく考えてみてほしい。
彼らは、あなたが成功することで、自分の「言い訳」が崩れるから批判しているだけだ。
「俺が稼げないのは、運がないから」「俺が稼げないのは、才能がないから」「俺が稼げないのは、資金がないから」
こういう言い訳で自分を守っていたのに、同じスタート地点だったあなたが成功してしまったら、その言い訳が使えなくなる。
だから、あなたの足を引っ張る。
批判者の声より、家族の笑顔を選べ
ここで問いたい。
あなたは誰のために生きているのか?
あなたを批判する「友人」のためか?それとも、あなたの家族のためか?
あなたが稼げば、子供に習い事をさせられる。親に旅行をプレゼントできる。パートナーに「今月も頑張って」というプレッシャーをかけずに済む。
これと、「昔の友人からの評価」を天秤にかけたら、どちらが重いか?
答えは明白だ。
しかも、面白いことに、あなたが本当に成功すると、批判者は黙る。そして、すり寄ってくる。
「実は俺も起業考えててさ、相談乗ってくれない?」
人間とは、そういう生き物だ。
脳に汗をかく覚悟はあるか?
最後に、もう一度問いたい。
あなたは、本気で稼ぎたいのか?
もし答えがイエスなら、今日から変わらなければならない。
今日からできる3つのこと
1. 自分の「実質時給」を計算する
先月の総労働時間(通勤時間も含む)と、手取り収入を書き出せ。そして割り算しろ。
出てきた数字を見て、こう自問しろ。
「俺は、この金額で、あと30年働くのか?」
ゾッとしたら、それが変化のスタート地点だ。
2. 何か1つ、「無料でやっていたこと」に値段をつける
友人に頼まれてデザインを作った?次からは「5万円ね」と言え。
相談に乗った?次からは「コンサル料として1時間1万円いただきます」と言え。
最初は冗談交じりでいい。でも、その言葉を口に出す訓練が必要だ。
3. 憧れる人の「価格設定の理由」を研究する
高額な商品やサービスを見つけたら、「ぼったくりだ」と批判するのではなく、「なぜこの価格なのか?」を考えろ。
その思考プロセスこそが、あなたの脳を鍛える。
最後に:温室から出る勇気
サラリーマンという温室は、確かに快適だ。
毎月決まった日に、決まった金額が振り込まれる。有給休暇もある。社会保険もある。
でも、その快適さと引き換えに、あなたは何を失っているか?
自分の人生を、自分で決める自由だ。
温室を出るのは怖い。外は嵐かもしれない。失敗するかもしれない。批判されるかもしれない。
でも、自力で根を張った植物だけが、誰も見たことのない花を咲かせることができる。
あなたは、一生温室の中で、誰かが決めた「適温」で生きていくのか?
それとも、外の世界で、自分の力で花を咲かせるのか?
選ぶのは、あなただ。
ただし、一つだけ約束しよう。
外の世界に出て、脳に汗をかき、価格設定の恐怖を乗り越え、批判に耐えた先には――
「ああ、俺の人生、悪くないな」
と、心の底から思える朝が待っている。
温室の中では、絶対に味わえない感覚だ。
さあ、あなたはどちらを選ぶ?
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