友達から謎の勧誘が…。なぜ人は「信者」に変わり、親しい人まで誘ってしまうのか?その心理メカニズムを解剖 からの続き
リビングで誰かが壊れていく – 家族という監獄
最初の違和感は、夕食の会話だった。
「今日、すごい人に会ったんだ」
夫の目が、いつもと違っていた。
キラキラしている。子供のように。いや、子供以上に。
40歳の男が、宝物を見つけた子供の目をしている。
私は箸を動かしながら、軽く返事をした。
「へえ、どんな人?」
「人生を変える方法を教えてくれる人。実はね…」
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
ああ、これだ。
テレビで見た。ネットで読んだ。友人から聞いた。
「まさか、うちは大丈夫」と思っていた、あれだ。
しかし、まさか。夫がそんなはずは。
彼は賢い。大学も出ている。大企業に勤めている。騙されるような人間じゃない。
その「まさか」が、今、私の目の前で起きている。
これは、ある妻の記録だ。
ある娘の記録だ。
ある息子の記録だ。
家族の誰かが、何かに「囚われた」とき。
残された者たちは、何を見て、何を感じ、何ができなかったのか。
これは、最も近くにいる者だけが知る、地獄の記録だ。
第1段階:違和感という序章 – 何かがおかしい
最初は、些細なことだった。
言葉が変わった
夫の口癖が変わった。
「マインドセット」
「パラダイムシフト」
「フィナンシャルフリーダム」
聞き慣れない横文字が、夕食のテーブルに並ぶようになった。
そして、以前は言わなかった言葉。
「成功する人としない人の違いは、行動力だ」
「リスクを取らない人生に、意味はない」
「会社員は、一生奴隷だ」
最後の言葉を聞いたとき、私は箸を止めた。
「あなた、今、会社員でしょ?」
「そうだよ。だから、変わらなきゃいけないんだ」
その目は、何かを見ている。私には見えない何かを。
時間の使い方が変わった
週末、夫は家にいなくなった。
「セミナーに行ってくる」
「ミーティングがあるんだ」
「成功者の話を聞きに行く」
最初は月に1回だった。それが、月に2回。4回。毎週。
そして、平日の夜も。
「今日、飲み会」と言っていたのが、「今日、勉強会」になった。
帰宅は23時。0時。1時。
「誰と会ってるの?」
「新しい仲間だよ。すごい人たちなんだ」
私は知らない「仲間」。
私は知らない「すごい人たち」。
夫の人生に、私が入れない領域ができた。
お金の流れが変わった
ある日、クレジットカードの明細を見た。
- 教材費:98,000円
- セミナー参加費:50,000円
- 月会費:15,000円
合計163,000円。
「これ、何?」
「投資だよ。自己投資」
「こんな大金を、相談もなしに?」
「大金じゃない。これで将来、何百万も稼げるんだから」
私は、何も言えなくなった。
なぜなら、夫は本気でそう信じているから。
第2段階:確信という絶望 – これは、ヤバい
そして、決定的な瞬間が来る。
「説明会に来てほしい」
ある日、夫が言った。
「今度の日曜日、時間ある?」
「何?」
「実はね、すごいビジネスチャンスがあって。説明会があるんだ。一緒に来てほしい」
私の心臓が止まった。
ああ、ついにここまで来たか。
「私は、いいわ」
「なんで?話だけでも聞いて」
「興味ないの」
「話も聞かずに否定するの?それ、成長しない人の典型だよ」
その言葉に、私は言葉を失った。
夫が、私を「成長しない人」と呼んだ。
結婚して15年。子供を2人育て。家事も仕事も両立して。
その私を、「成長しない人」。
娘の質問
その夜、中学生の娘が聞いてきた。
「ママ、パパ、最近変じゃない?」
「…何が?」
「なんか、話し方が変。あと、いつも家にいない」
「パパは、新しい仕事を頑張ってるのよ」
嘘をついた。娘を心配させたくなかった。
しかし、娘は言った。
「パパ、友達のお母さんに、変な誘いしたらしいよ」
血の気が引いた。
「…何を?」
「よく分かんないけど、『ビジネスの話がある』って。お母さん、気持ち悪いって言ってた」
終わった。
社会的に、終わった。
娘の友達の母親。つまり、PTAの関係者。学校の保護者コミュニティ。
その中で、夫は「変な勧誘をする人」になった。
そして、それは私にも影響する。
娘にも影響する。
夫の変貌
その夜、夫を問い詰めた。
「娘の友達のお母さんに、何を話したの?」
「ああ、素晴らしいビジネスの話をしただけだよ」
「勝手に他人を勧誘しないで!」
「勧誘じゃない。情報を共有しただけ」
「同じことでしょ!」
「違う。君は分かってない。これは、人助けなんだ」
人助け。
夫は、本気でそう言った。
目は、狂気じみて輝いていた。
この人は、もう私の知っている夫ではない。
第3段階:抵抗という徒労 – 何を言っても無駄
家族は、何度も止めようとする。
しかし、それは砂を握るようなものだ。
妻の抵抗:論理的説得の崩壊
私は、データを集めた。
ネットで検索した。「MLM 被害」「ネットワークビジネス 実態」
統計を印刷した。「参加者の99%が赤字」
体験談を見つけた。「借金500万円、離婚、家族崩壊」
そして、夫に見せた。
「ね、これ見て。みんな失敗してるの。お願いだから、やめて」
夫は、スマホも見ずに言った。
「それ、成功しなかった人の言い訳でしょ。本気でやらなかったから失敗したんだよ」
「統計もあるの。99%が赤字なの」
「じゃあ、俺は1%になる」
「…」
「君は、俺を信じないの?」
この問いが、一番卑怯だった。
これは「ビジネスへの信頼」ではなく、「夫婦の信頼」にすり替えられた。
私が反対すれば、「夫を信じない妻」になる。
親の抵抗:権威の無効化
夫の両親が、介入した。
「息子よ、それはやめなさい。そういうのは、ろくなもんじゃない」
しかし、夫は言った。
「お父さんの時代とは違うんだよ。今は、個人が稼ぐ時代なんだ」
「お前、会社はどうするんだ?」
「会社なんて、いつまでもあると思うの?終身雇用なんてもう幻想だよ」
父親は、絶句した。
自分が息子に教えてきた価値観を、息子が全否定した。
「会社に忠実に」
「真面目に働けば報われる」
「石の上にも三年」
これらすべてが、「古い価値観」として切り捨てられた。
親の権威が、無効化された瞬間だった。
子供の抵抗:見えない傷
そして、一番痛いのが、子供からの声だ。
ある日、小学生の息子が言った。
「パパ、もう友達にその話しないで」
「え?どうして?」
「だって、友達のお父さんとお母さんが、『あの人には近づくな』って言ってるって」
夫の顔が、凍りついた。
「…そんなこと、言われてるのか」
「うん。僕、学校行きたくない」
この一言が、夫に何かを与えるかと思った。
しかし、夫は言った。
「そういう人たちは、まだ気づいてないだけなんだ。いつか分かるよ」
息子の涙より、ビジネスの方が大事だった。
第4段階:諦めという受容 – もう、どうしようもない
そして、家族は気づく。
何を言っても、無駄だ。
妻の諦め
私は、夫を説得することを諦めた。
何を言っても、「君は分かってない」で終わる。
データを見せても、「それは本気でやらなかった人の話」で終わる。
泣いても、「今は辛いけど、いつか分かる」で終わる。
説得は、不可能だ。
だから、私は戦略を変えた。
「好きにすればいい。でも、約束して」
「何?」
「家計には手を出さないで。あなたが使うのは、あなたの小遣いの範囲内」
「…分かった」
これが、私にできる最後の防衛線だった。
親の諦め
夫の母親が、私に電話してきた。
「あの子、どうしたらいいかしら…」
「…すみません、私も、どうしようもなくて」
「あなたのせいじゃないわ。でも、昔はあんな子じゃなかったのに…」
母親の声が、震えていた。
自分が育てた子供が、別人になった。
その絶望が、電話越しに伝わってきた。
娘の諦め
娘は、父親と話さなくなった。
「おはよう」
「…」
「今日、学校どうだった?」
「…別に」
「なんか困ってることない?」
「ない」
会話が、消えた。
そして、娘は私にだけ、こう言った。
「パパのこと、友達には内緒にしてる。もし知られたら、私も変な目で見られる」
娘は、父親を隠している。
父親の存在が、娘の人生の恥になった。
第5段階:崩壊という現実 – 数字が物語る破綻
そして、時間が経つにつれ、現実が数字として現れ始める。
家計簿という証拠
私は、密かに夫のクレジットカード明細を記録し続けた。
6ヶ月目の集計:
- 初期費用(スターターキット):300,000円
- 月会費(6ヶ月分):90,000円
- セミナー参加費(計8回):320,000円
- 教材費(追加購入):150,000円
- 交通費・交際費:80,000円
- 商品在庫(売れ残り):200,000円
合計支出:1,140,000円
収入:0円
純損失:1,140,000円
114万円。
これは、私の年間パート収入とほぼ同じだ。
つまり、私の1年間の労働が、無に帰した。
貯金という未来
私たちには、子供の学費のための貯金があった。
長女の大学進学費:200万円
長男の大学進学費:200万円
合計400万円。15年かけて貯めた。
ある日、通帳を見た。
残高:2,347,891円
あれ?
400万円あったはずが、234万円。
166万円が、消えていた。
「これ、どういうこと?」
夫に問い詰めた。
「…使った」
「何に!」
「ビジネスの拡大に必要だったんだ」
「子供の学費よ!勝手に使わないで!」
「大丈夫。これで成功すれば、学費なんて何倍にもなる」
「大丈夫」という言葉が、一番信じられない言葉になった。
借金という深淵
そして、最悪の日が来た。
郵便受けに、見慣れない封筒。
消費者金融からの督促状。
金額:50万円
夫が、借金をしていた。
「これ、どういうこと?」
「…バレたか」
「バレたか、じゃない!なんで借金してるの!」
「セミナーの費用が必要で…でも大丈夫、来月には返せる」
「どうやって?」
「新しく入った人から、手数料が入るから」
「新しく入った人」という言葉に、私は戦慄した。
夫は、誰かを勧誘して、その人の入会金から借金を返そうとしている。
つまり、誰かの人生を巻き込んで、自分の借金を返そうとしている。
第6段階:決断という分岐点 – 離れるか、残るか
家族は、最も残酷な選択を迫られる。
妻の葛藤:離婚という選択肢
深夜、私は考えていた。
離婚すべきか。
弁護士に相談した。
「経済的DVと言えるケースですね。離婚は可能です。親権もおそらく取れます」
しかし、私は決断できなかった。
なぜなら、まだ愛していたから。
いや、正確には。
「かつて愛していた人」が、まだどこかにいると信じていたから。
この狂気は、いつか終わる。
その時、夫は正気に戻る。
そして、「なんであの時、止めてくれなかったんだ」と言う。
いや、違う。
「あの時、見捨てずにいてくれてありがとう」と言うかもしれない。
どちらにせよ、私がいなければ、夫には帰る場所がない。
だから、私は残ることを選んだ。
しかし、それは「許す」ことではなかった。
「監視する」ことだった。
娘の葛藤:父親という恥
娘は、高校受験を控えていた。
そして、ある日、こう言った。
「ママ、受験、県外の高校にしたい」
「え?なんで?」
「…ここにいたくない。パパのせいで」
私は、言葉を失った。
娘は、父親から逃げようとしている。
地理的に。
「パパが変なことしてるって、もう学校中に広まってる。私、友達からも避けられてる」
「…」
「ママはいいよ。大人だから。でも私は、あと3年、この地域にいなきゃいけない。無理」
娘は、父親によって、故郷を失おうとしていた。
息子の葛藤:パパという不在
そして、小学生の息子。
彼は、何も言わなくなった。
「パパ」と呼ばなくなった。
夫に話しかけなくなった。
夫が帰宅しても、部屋から出てこなくなった。
ある日、息子の日記を見てしまった。
「ぼくには、パパがいない」
いる。物理的にはいる。同じ家にいる。
しかし、息子にとって、パパはもういない。
第7段階:終わりという始まり – そして、どちらかが壊れる
そして、物語は2つの結末に向かう。
結末A:夫が壊れる
2年が経った。
夫は、ついに限界に達した。
借金は300万円を超えた。
勧誘した人々からは、恨みの言葉。
会社では、降格。
家族とは、断絶。
そして、ある日。
夫が、リビングで泣いていた。
「…俺、何やってたんだろう」
その言葉を待っていた。
しかし、その言葉を聞いたとき、私は何も感じなかった。
喜びも、怒りも、安堵も。
ただ、疲れていた。
「これから、どうするの?」
「…分からない」
夫は、廃人のようだった。
アイデンティティが崩壊した人間は、ただの抜け殻だ。
そして、私は気づいた。
夫を取り戻せても、「かつての夫」は戻ってこない。
2年間の空白は、埋まらない。
失った信頼は、戻らない。
娘の心の傷は、消えない。
息子の記憶から、「パパ」は消えている。
私たちは、形式的には「元に戻った」。
しかし、何一つ、戻っていない。
結末B:家族が壊れる
もう一つのパターン。
夫は、壊れなかった。
いや、壊れることを拒否した。
「俺は間違ってない。お前たちが理解できないだけだ」
そして、私は決断した。
離婚。
子供を連れて、家を出た。
夫は、一人残された。
そして、彼は今も、そのビジネスを続けている。
誰もいないアパートで、一人で。
彼の家族は、物理的には存在するが、彼の世界からは消えた。
結末C:共存という地獄
そして、第3のパターン。
誰も壊れない。誰も去らない。
しかし、家族は機能停止している。
夫は、地下室で一人、パソコンに向かっている。
妻は、リビングで一人、テレビを見ている。
娘は、部屋で一人、スマホを見ている。
息子は、部屋で一人、ゲームをしている。
同じ家にいる。
しかし、誰も交わらない。
夕食は、別々に食べる。
会話は、最低限の事務連絡のみ。
これは、家族ではない。
これは、他人が同じ建物に住んでいるだけだ。
そして、この状態が、5年、10年続く。
子供たちは、やがて家を出る。
そして、残されるのは、夫と妻。
二人の老後。
しかし、二人は他人だ。
傍観者が見る真実 – 誰も幸せじゃない
ここまで読んで、気づいただろうか。
この物語に、幸せな人間が一人もいない。
夫は、成功していない。借金と孤独だけが残った。
妻は、愛していた人を失った。
娘は、父親を恥じて生きている。
息子は、父親の記憶がない。
誰も勝たない。
全員が負ける。
これが、MLM・情報商材・カルトの本当の結末だ。
家族にできること、できないこと
では、もしあなたの家族が何かに囚われたら、何ができるのか。
できること
1. 境界線を引く
「あなたのお金で、あなたの人生でやるなら、止めない。でも、家族の金には手を出さないで」
この線を、物理的に守る。口座を分ける。カードを分ける。
2. 記録する
すべてを記録する。支出、言動、変化。
これは、将来の「証拠」になる。離婚する場合も、回復を助ける場合も。
3. 子供を守る
子供に、「これは普通じゃない」と伝える。
「パパ/ママは今、ちょっと変な状態だけど、それはあなたのせいじゃない」
4. 外部と繋がる
孤立しない。友人、親戚、カウンセラー、弁護士。
一人で抱え込むと、共倒れになる。
5. 最悪のシナリオを想定する
離婚。破産。子供の転校。
これらを、事前に想定しておく。
準備があれば、ショックは和らぐ。
できないこと
1. 本人を変えること
人は、外部からは変えられない。
内側から崩れるまで、待つしかない。
2. 過去を取り戻すこと
失われた時間、金、信頼。
これらは、戻らない。
3. 傷を消すこと
特に子供の心の傷。
これは、一生残る。
ある娘の告白 – 20年後の視点
最後に、実際の話を一つ。
私の知人の女性。彼女は40代だ。
彼女の父親は、彼女が15歳の時、MLMに入った。
そして、家庭は崩壊した。
彼女は今、こう語る。
「父は、5年後に抜け出した。借金を返すのに10年かかった。今は、普通のおじいちゃんだ」
「でもね、私は父を許せない」
「許せないのは、MLMに入ったことじゃない」
「許せないのは、私たちよりもそれを優先したこと」
「私が『学校行きたくない』って泣いても、『お前が気にしすぎなんだ』って言ったこと」
「母が『もうやめて』って懇願しても、『お前は分かってない』って言ったこと」
「弟が『パパ、嫌い』って言っても、無視したこと」
「私たちの痛みを、見なかったこと」
「それが、許せない」
そして、彼女は言った。
「今、父は後悔してる。『あの時は、おかしかった』って」
「でも、後悔されても困る」
「私の15歳は、戻ってこない」
「あの時の傷は、今も疼く」
「父は『過去のこと』にしたいみたいだけど、私にとっては『今も続いていること』なんだ」
エピローグ – リビングの亡霊
今も、どこかのリビングで、誰かが壊れていく。
夫かもしれない。
妻かもしれない。
親かもしれない。
そして、その隣で、誰かが見ている。
止められない。
救えない。
ただ見ている。
これが、家族という監獄だ。
愛しているから、離れられない。
血が繋がっているから、切れない。
しかし、繋がっているからこそ、痛みも繋がっている。
一人が沈めば、全員が引きずられる。
もし、あなたの隣で誰かが壊れ始めたら。
すぐに気づいてほしい。
すぐに境界線を引いてほしい。
すぐに外部と繋がってほしい。
そして、覚えておいてほしい。
あなたは、その人を救えないかもしれない。
でも、あなた自身と、他の家族は救える。
全員で沈む必要はない。
一人が狂気を選んだとき、残りの人間は正気を守る権利がある。
それは、冷たいことではない。
それは、生き残ることだ。
P.S. – ある妻の最後の言葉
インタビューした女性の最後の言葉が、忘れられない。
「あのね、一番辛かったのは何か分かる?」
「夫が変わっていくことでもない。お金が消えることでもない」
「一番辛かったのは…」
「夫の目に、私たちが映っていなかったこと」
「彼の目には、『成功』しか見えていなかった」
「私も、子供も、そこにはいなかった」
「生きてるのに、透明人間だった」
「それが、一番辛かった」
そして、彼女は言った。
「だから、もし誰かが家族を巻き込んでMLMを始めようとしてるなら、言いたい」
「あなたが見ている『成功』の影で、誰かが消えかけている」
「振り返って。見て。まだ間に合う」
次回のストーリー 「成功したのに虚しい」のはなぜ?年収3000万円で“すべてを失った”男の告白 に続く。フィクションです。
コメント