あなたは今日も、水が沸くのを待っていた。
コンロの前でボーッとスマホを眺めながら、大きな鍋の中でゴボゴボと泡立つ水を見つめる。10分。この10分間、あなたは何も生み出していない。ただ、水という物質が100度になるのを、見守っているだけ。
「料理って、なんでこんなに時間がかかるんだろう…」
疲れた体で帰宅して、さらに30分キッチンに立つ。座る頃にはクタクタで、作った料理を味わう余裕すらない。そんな夜が、何度あっただろう。
でも、もしかしたら。
私たちは、100年前の広告に騙され続けているだけなのかもしれない。
水が沸くのを待つのは、もうやめよう
蒸し器を使い始めて、私の人生は変わった。
大げさだと思うかもしれない。でも本当だ。毎朝のゆで卵作りで失っていた時間――水を沸かす8分、茹でる12分、合計20分。これが、蒸し器なら1分の準備+12分の放置で終わる。
「え、1分って…水入れるだけじゃん」
そう。水を1cm入れて火をつける。30秒。卵を蒸し器に並べる。30秒。蓋をしてタイマーセット。10秒。
準備完了。
あの「水が沸くまでボーッと待つ時間」は、消滅した。
しかも、蒸し卵は殻がツルンと剥ける。あのイライラする「殻と白身の格闘」からも解放される。毎朝のストレスが、文字通り蒸発した。
この「毎日7分の奪還」を365日続けると、年間42時間=丸1.7日分の自由時間が生まれる。人生で2日分のボーナスタイム。これを「大したことない」と言える人は、たぶん時間が余ってる貴族だろう。
蒸し器の蓋を開けた瞬間、私は泣きそうになった
初めて蒸し器で野菜を蒸した日のことは、忘れられない。
冷蔵庫の奥で萎れかけていたブロッコリー、人参、キャベツ。「どうせ茹でてもクタクタになるんだろうな…」と思いながら、とりあえず蒸し器に放り込んだ。水1cm、火をつける、8分放置。
タイマーが鳴る。
蓋を開けた瞬間、顔に当たる熱い湯気。まるで温泉の湯けむりに包まれるような、ほっとする温もり。そして――
「え…なにこれ…」
目の前に広がっていたのは、宝石のように輝く野菜たちだった。
ブロッコリーは、茹でた時のくすんだ緑じゃない。翡翠のように、生き生きとした鮮やかな緑。人参は、まるでオレンジ色の炎が宿っているような、濃密な色。キャベツは透明感のある黄緑色で、「生き返った」ように見えた。
一口食べて、私は言葉を失った。
「野菜って、こんなに甘かったんだ…」
今まで茹でていた野菜は、甘みも栄養も、全部お湯の中に流れ出ていた。私は20年以上、野菜の抜け殻を食べていたらしい。
蒸したブロッコリーを噛むと、口の中で濃縮された甘みが弾ける。水に逃げなかった糖分が、全部そこに残っている。これが、野菜の本当の味だったのか。
泣きそうになったのは、美味しさだけじゃない。
「私、今まで何と戦ってたんだろう…」
大量の水を沸かして、長時間茹でて、栄養を捨てて、時間を失って。その全部が、無意味だった。いや、無意味どころか、素材を殺していた。
「時短は手抜き」という呪いを、解こう
ここで、多くの人が立ち止まる。
「でも、時短料理って手抜きじゃないの…?」
この罪悪感、私もよく分かる。料理番組を見れば、シェフは何時間もかけて丁寧に下ごしらえをする。レシピサイトには「愛情込めてコトコト煮込む」と書いてある。
私たちは無意識に信じている。
「時間をかける=愛情がある」
「手早く済ます=手抜き=悪」
でも、これは完全な錯覚だ。
栄養学の研究によると、野菜のビタミンCは茹でると50%以上が水に流出する。一方、蒸し料理なら80%以上が保持される。つまり、長時間茹でる「丁寧な調理」の方が、実は栄養を破壊している。
肉も同じだ。茹でると旨味成分が流出してパサパサになる。蒸すと、肉汁が中に閉じ込められてジューシーに仕上がる。
時短の方が、圧倒的に美味いし、栄養価も高い。
この事実を知った時、私は笑ってしまった。私たちは100年間、逆のことをやっていたんだと。
そして気づいた。この「時間=愛情」という呪いは、誰が作ったのか?
答えは簡単。フライパンと鍋を売りたい企業の広告だ。
明治時代、西洋からフライパンが入ってきた時、「モダンな調理器具」として大々的に宣伝された。昭和の高度経済成長期、テフロン加工のフライパンが大量生産されると、テレビCMが流れまくった。料理番組のスポンサーも、フライパン・鍋メーカーばかり。
結果、私たちは「焼く・炒める・煮る」しか選択肢がないと錯覚するようになった。
蒸し器は「古臭いもの」として、キッチンの隅に追いやられた。
でも、江戸時代の日本は蒸し料理大国だった。茶碗蒸し、酒蒸し、蒸し寿司。蒸篭(せいろ)文化が花開いていた。それが、広告の都合で消された。
私たちは、最も効率的で美味しい調理法を、忘れさせられたんだ。
シューシューという音が、私の子守唄になった
蒸し器を使い始めて3ヶ月。今では、あの音が恋しくなる。
シューシュー…
水が沸騰して聞こえてくる、穏やかな蒸気音。ジュージューという炒め物の攻撃的な音じゃない。ゴボゴボという煮物の騒々しい音でもない。
まるで、子守唄のような安心感。
この8分間、私は本を読む。音楽を聴く。窓の外をぼんやり眺める。
「料理している」という緊張感がない。火加減を気にする必要もない。焦げる心配もない。ただ、蒸し器が静かに仕事をしてくれるのを、待つだけ。
いや、「待つ」という感覚すらない。
8分は、あまりにも短い。本を1章読み終わる前に、タイマーが鳴る。「え、もう?」と思う。この「時間が足りない」感覚が、不思議と心地いい。
そして、蓋を開ける。
湯気とともに立ち上る、甘い香り。
蒸したさつまいもからは、焚き火で焼き芋をした時のような懐かしい匂い。蒸したとうもろこしからは、夏祭りの屋台を思い出す甘い香り。蒸した鶏肉からは、旨味が凝縮された、食欲をそそる匂い。
この瞬間、私はいつも思う。
「ああ、生きてるな」って。
「全部入れ蒸し」の日は、魔法の日だ
疲れ果てた夜。冷蔵庫を開けると、半端に残った野菜たち。萎れたほうれん草、使いかけの人参、賞味期限ギリギリのキノコ。
「もう、何も考えたくない…」
そんな日は、全部蒸し器にぶち込む。
ほうれん草、人参、キノコ、冷凍してあった鶏肉、ついでに冷蔵庫にあった餃子も投入。秩序なんて、知らない。美しい盛り付けも、知らない。
水1cm、火をつける、8分放置。
タイマーが鳴る。
蓋を開けると――宝箱が現れる。
カラフルな野菜たち。ジューシーな鶏肉。プリプリの餃子。全部が、それぞれの個性を保ったまま、美味しそうに蒸し上がっている。
ポン酢をかける。ごま油と塩をかける。わさび醤油をつける。
一口食べる。
「…うまい」
この「適当に作ったのに、めちゃくちゃ美味い」という背徳感が、たまらない。
料理って、こんなに自由でよかったんだ。レシピ通りじゃなくていい。きっちり測らなくていい。見栄えを気にしなくていい。
ただ、素材の力を信じて、蒸せばいい。
子供がいる友人は、この「全部入れ蒸し」の日を「魔法のフタ開け係」の日と呼んでいる。
子供に蒸し器の蓋を開けさせる。湯気が「ふわっ」と立ち上る。子供は目をキラキラさせて「わぁ!」と叫ぶ。
「ママ、魔法使ったの?」
「そう、お鍋が魔法をかけてくれたのよ」
この会話を聞いた時、私は泣きそうになった。
料理が、魔法に戻った瞬間だった。
蒸し器を常設したら、人生が変わった
多くの人は、蒸し器を「特別な日の道具」だと思っている。茶碗蒸しを作る時だけ、押し入れから引っ張り出すもの。
違う。
蒸し器は、コンロの上に常設するものだ。
私の蒸し器は、今、コンロに鎮座している。片付けない。毎日そこにある。
朝起きたら、蒸し器。卵を蒸す。
昼休みに帰宅したら、蒸し器。野菜を蒸す。
夜帰ったら、蒸し器。肉と野菜を蒸す。
週5日は蒸し料理。残り2日だけ、気分転換で炒め物や煮物を作る。
この生活になってから、料理が「作業」から「楽しみ」に変わった。
以前は、「今日は何を作ろう…」と憂鬱だった。レシピを検索し、材料を揃え、手順を確認する。この「考える時間」が、一番疲れた。
今は、考えない。
冷蔵庫にあるものを全部蒸す。タレだけバリエーションをつける。ポン酢、ごまだれ、オリーブオイル+塩、わさび醤油、味噌マヨネーズ。
素材は蒸し器に任せて、味付けだけ自分で決める。
この「分業」が、めちゃくちゃ楽だ。
そして気づいた。
料理って、「素材を美味しくすること」と「味をつけること」の2つに分解できる。前者は蒸し器が圧倒的に得意。後者は人間が得意。
だったら、得意な人(機械)に任せればいい。
こんな当たり前のことに、30年生きて初めて気づいた。そして、30年間「全部自分でやらなきゃ」と思い込んでいた自分が、少し愛おしくなった。
100円ショップの蒸しプレートが、革命を起こす
「でも、蒸し器って高いんでしょ?」
いいえ。100円で革命は起こせます。
100円ショップに売っている「蒸しプレート」。あの、フライパンの中に入れる金属製のやつ。あれを買ってください。
フライパンに水を1cm入れて、蒸しプレートを置く。その上に食材を並べる。蓋をする。火をつける。
はい、即席蒸し器の完成。
私も最初はこれだった。100円の投資で、人生が変わるか試してみたかった。
結果、変わった。
1週間後、私はAmazonで2,000円の蒸し器を買っていた。1ヶ月後、5,000円の電気蒸し器を買っていた。今では、キッチンに3つの蒸し器がある。
友人には「蒸し器コレクター」と呼ばれている。褒め言葉として受け取っている。
でも、高い蒸し器は必要ない。100円の蒸しプレートで充分だ。
というか、まず100円で試してほしい。
人生を変える決断に、リスクはいらない。100円だけ投資して、明日の朝、ゆで卵を蒸し卵に変えてみてください。
殻がツルンと剥ける感動を味わってください。
そして、「あれ、今日は水が沸くまで待たなかったな」という、7分の自由を実感してください。
それが、あなたの革命のスタートになる。
失敗しない、という安心感
正直に言います。
私は料理が、あまり得意じゃなかった。
炒め物は焦がす。揚げ物は油の温度が分からなくて生焼け。煮物は火加減を間違えて水分が飛びすぎる。
「料理って、センスがいるんだな…」と諦めかけていた。
でも、蒸し器は私を裏切らなかった。
なぜなら、蒸し器は失敗のしようがないから。
水蒸気は常に100度。一定の温度で、均一に加熱してくれる。焦げることもない。生焼けになることもない。火加減を気にする必要もない。
唯一の失敗は「空焚き」だけど、これもタイマーを12分にセットすれば絶対に起きない。
つまり、誰がやっても同じように美味しくできる。
料理のセンスがない私でも、蒸し器を使えば「料理上手」になれた。いや、正確には――
蒸し器が、私を料理上手にしてくれた。
この「失敗しない安心感」が、どれほど心を軽くするか。
毎日の夕食準備が、「戦い」から「散歩」になった。リラックスして、鼻歌を歌いながら、野菜を蒸し器に並べる。
料理が、怖くなくなった。
あなたは人生の何日を、水が沸くのを待って失っていますか?
計算してみてください。
毎日、水が沸くまで10分待っているとしましょう。朝・昼・夜で合計30分。これが365日続くと、年間182時間=7.5日分。
あなたは人生で、1週間以上を、ただ水が沸くのを見つめて失っている。
この1週間で、何ができただろう?
本を3冊読めた。映画を10本観れた。友達と7回会えた。新しいスキルを学べた。ただボーッと空を眺める贅沢な時間を持てた。
でも、あなたはその時間を、水に捧げている。
蒸し器は、この1週間を取り戻してくれる。
1分で準備。8分で完成。待つ時間は、ゼロ。
年間7日の自由時間が、あなたの元に戻ってくる。
これは、大げさな話じゃない。本当に、人生が変わる。
静かな抵抗を、始めよう
私たちは100年間、広告に騙されてきた。
「フライパンを買いなさい」
「長時間煮込むのが愛情です」
「時短は手抜きです」
そして私たちは、最も効率的で美味しい調理法を忘れさせられた。
でも、もう気づいた。
時短こそが、最高の美味だった。
待たないことこそが、丁寧な暮らしだった。
自分の時間を大切にすることこそが、本当の愛情だった。
明日から、あなたも始められる。
ゆで卵を、蒸し卵に変える。たったそれだけ。
毎朝7分の自由時間が生まれる。殻がツルンと剥ける小さな幸せが生まれる。「今日も1日頑張ろう」という気持ちが、少しだけ軽くなる。
これは、静かな革命だ。
誰にも気づかれない。誰も褒めてくれない。SNSで映えることもない。
でも、確実に、あなたの人生の質は上がる。
蒸し器を常設する。それは、時間を盗んだ100年の歴史への、あなたの静かな抵抗になる。
最後に
今夜、あなたが疲れて帰宅したら。
コンロの前に立って、大きな鍋に水を張る前に。
ちょっとだけ、立ち止まってみてください。
「本当に、この10分が必要なのか?」
もしかしたら、その10分は。
水ではなく、あなた自身に使われるべき時間かもしれない。
蒸し器は、その選択肢を与えてくれる。
1分で準備。8分で完成。そして、残りの時間は全部、あなたのもの。
さあ、水が沸くのを待つのは、もうやめよう。
あなたの人生は、もっと大切なことに使われるべきだから。
P.S.
このブログを読み終わったあなたへ。明日の朝、騙されたと思って100円の蒸しプレートを買ってみてください。そして、ゆで卵を蒸してみてください。殻がツルンと剥けた瞬間、あなたは「あ、この人は嘘をついていなかったな」と思うはずです。その時、7分の自由時間とともに、小さな革命が始まります。
シューシューという蒸気音が、あなたの新しい日常になる日を、私は静かに楽しみにしています。
P.P.S.
もし蒸し器を常設して人生が変わったら、ぜひ誰かに教えてあげてください。「最近、料理が楽しくなったんだよね」って。その一言が、誰かの10分を救うかもしれません。革命は、いつだって静かに、一人ひとりから始まるのですから。
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