「タイパ」に疲れていませんか?“効率の鬼”が燃え尽きて学んだ、人生から「余白」が消えた本当の理由

※フィクションストーリー

効率という暴君 – 私は時間を増やして、人生を失った

朝5時起床。

アラームが鳴る前に目が覚める。8時間睡眠は、最適化された私の義務だ。

スマホを手に取る。まず、睡眠トラッカーアプリを確認。

睡眠スコア:87点

悪くない。しかし、90点は超えたい。昨夜の寝る前のブルーライトが影響したかもしれない。メモする。「明日から寝る2時間前はブルーライトカットモード」

ベッドから出る。5時3分。

トイレに行きながら、Voicyで音声メディアを聞く。「成功者の朝習慣」というコンテンツ。トイレの5分すら、インプットの時間だ。

5時8分。白湯を飲む。内臓を温める。これは医者がYouTubeで言っていた。

5時10分。瞑想アプリを起動。10分間の瞑想。集中力を高め、生産性を向上させる。

しかし、瞑想中も気になる。「この10分、他のことに使えたのでは?」

5時20分。筋トレ。自重トレーニング、20分。効率的に全身を鍛えられるメニュー。YouTubeで見た。

筋トレ中も、Bluetoothイヤホンでポッドキャストを聞く。「運動しながら学ぶ」これが、時間の二重活用だ。

5時40分。プロテイン。タンパク質25g。筋肉の回復に最適。

5時45分。シャワー。5分で済ませる。長風呂は時間の無駄だ。

5時50分。朝食。調理時間3分の時短レシピ。バナナ、ヨーグルト、ナッツ。栄養バランスは計算済み。

食べながら、スマホでニュースアプリ。「要約」機能で、5分で10本の記事を読む。

6時。身支度。服は前日に決めてある。選択という時間の無駄を削減。

6時10分。家を出る。

電車の中。Kindleで本を読む。速読術を使って、1冊2時間で読む。月に15冊は読む。

しかし、実は内容をあまり覚えていない。でも、「読んだ」という事実が重要だ。


私の名前は、田村健一(仮名)。32歳。IT企業勤務。

私は、効率化の鬼だ。

時間管理アプリ5つ。タスク管理アプリ3つ。習慣化アプリ2つ。

私の1日は、すべて最適化されている。

無駄な時間は、1秒もない。

私は、完璧に生きている。

はずだった。

第1章:効率化という宗教への入信

3年前、私は普通の人間だった。

朝8時起床。ギリギリまで寝て、慌てて家を出る。

朝食は食べない。電車ではボーッとスマホをいじる。何も生産的なことはしない。

仕事は、締め切りギリギリにやる。

帰宅後は、Netflixを見ながらポテチ。

休日は、昼まで寝る。

典型的な、ダメ人間だった。

転機:ある動画との出会い

ある日、YouTubeのおすすめに出てきた動画。

「成功者は朝5時に起きる。あなたの人生を変える朝のルーティン」

何気なくクリックした。

動画の中の男性は、爽やかに語る。

「僕は3年前まで、普通のサラリーマンでした。しかし、朝のルーティンを変えてから、人生が激変しました。今は、副業で月50万円稼いでいます。秘訣は、朝の時間の使い方です」

心が動いた。

「俺も、できるかもしれない」

その夜、私は10本以上の「朝活」「時間術」動画を見た。

そして、決意した。

明日から、変わる。

最初の成功体験

翌朝、5時に起きた。

つらかった。眠かった。

しかし、やり遂げた。

朝の静けさの中で、コーヒーを飲んだ。

「これが、成功者の朝か」

不思議な高揚感があった。

会社に行くと、同僚が言った。

「田村、今日なんか顔違うな。いいことあった?」

「いや、別に」

しかし、内心では得意げだった。

「お前らは、まだ寝てる時間に、俺はもう3時間も活動してるんだ」

この優越感が、麻薬だった。

エスカレート

1週間続けた。

しかし、物足りなくなった。

「朝、起きるだけじゃ足りない。もっと、生産的にならなきゃ」

筋トレを始めた。

瞑想を始めた。

読書を始めた。

朝のルーティンは、どんどん膨らんだ。

そして、気づいたら、朝だけでは足りなくなった。

通勤時間も、最適化の対象になった。

昼休みも、最適化の対象になった。

帰宅後も、最適化の対象になった。

1日24時間すべてを、効率化しなければ気が済まなくなった。

第2章:時間貧乏という矛盾

1年後。

私の生活は、完璧に最適化されていた。

しかし、気づいた。

全然、時間がない。

効率化のための時間

朝の筋トレ:20分
瞑想:10分
読書:30分
ニュースチェック:10分
→ 合計70分

通勤中の読書:40分
ポッドキャスト:40分

昼休み:本来は1時間だが、30分で食事を済ませ、残り30分で副業の作業

帰宅後:筋トレの記録、読書の記録、明日のタスク整理、睡眠の準備

気づけば、「効率化」そのものに、1日3時間以上使っていた。

しかも、常にスマホを見ている。

アプリの通知、タスクのチェック、習慣のトラッキング。

効率化するために、効率化している。

これは、本末転倒ではないか?

友人との会話

ある日、久しぶりに大学時代の友人と飲んだ。

「田村、最近どうよ?」

「まあまあ。お前は?」

「相変わらず。最近、何してる?」

「朝活してる。5時起き」

「マジで?すごいな。俺、無理だわ」

この「すごいな」という言葉が、快感だった。

「あとさ、読書も月15冊くらい読んでる」

「え、マジで?何読んでるの?」

「ビジネス書とか、自己啓発とか」

「へー。で、どうだった?面白かった?」

「…」

面白かったか?

正直、覚えていない。

「読んだ」という事実だけが残っていて、内容はほとんど覚えていない。

「まあ、色々勉強になったよ」

曖昧に答えた。

友人は、ビールを飲みながら言った。

「でもさ、田村、疲れてない?」

「え?」

「なんか、常に焦ってる感じする。昔はもっと、ゆったりしてたのに」

その言葉が、胸に刺さった。

しかし、私は否定した。

「別に。充実してるよ」

「そっか。ならいいけど」

その夜、家に帰って、鏡を見た。

目が、疲れていた。

いつも何かに追われているような目。

母の一言

実家に帰った時、母が言った。

「健一、痩せた?」

「え、そう?」

「なんか、余裕がない顔してる」

「…仕事、忙しいから」

「無理しないでね」

母の心配そうな顔が、妙に重かった。

第3章:2倍速の世界

そして、決定的な変化が訪れた。

2倍速視聴。

きっかけ

YouTubeで、ある動画を見た。

「時間がない人へ。動画は2倍速で見ろ。情報収集の効率が2倍になる」

目から鱗だった。

すぐに試した。

最初は違和感があった。声が早口すぎて、内容が入ってこない。

しかし、1週間で慣れた。

そして、気づいた。

「1倍速が、遅く感じる」

1倍速で動画を見ると、イライラする。

「早く、次の情報を」という焦りが常にある。

エスカレート

2倍速に慣れると、次は2.5倍速。

Netflixのドラマも、2倍速で見る。

映画も、2倍速。

「感動している時間がもったいない」

泣くシーン?飛ばす。

ゆっくりした会話シーン?飛ばす。

要点だけ、抽出する。

そして、友人と映画の話になった時。

「あの映画、良かったよな」

「ああ、見た見た」

「ラストの、あのシーン、泣いたわ」

「…ああ、うん」

実は、そのシーン、飛ばしてた。

私は、映画を「消費」していた。

「見た」という事実だけが欲しかった。

内容は、どうでもよかった。

音楽すら効率化

ある日、気づいた。

音楽を、最後まで聞いていない。

イントロが長いと、飛ばす。

サビだけ聞いて、次の曲へ。

プレイリストは、「テンポの良い曲」だけ。

ゆっくりした曲は、イライラする。

「時間がもったいない」

いつから、音楽は「作業用BGM」になったのか。

第4章:タイパという呪い

そして、「タイパ」という言葉を知った。

タイムパフォーマンス。

時間対効果。

すべてが「タイパ」で判断される

デート先を決める時。

「このレストラン、タイパ悪いな。2時間もかかる。30分で食べられる店にしよう」

映画を選ぶ時。

「3時間?長すぎ。タイパ悪い。90分以内の映画にしよう」

本を読む時。

「この本、300ページ?タイパ悪い。要約サイトで5分で読もう」

すべてが、時間で計算された。

そして、気づいた。

人間関係も、タイパで判断していた。

友人との別れ

ある友人が、電話してきた。

「田村、今度、久しぶりに集まろうぜ」

「いつ?」

「来週の土曜、昼から」

「昼から?何時間拘束されるんだ?」

「ごめん、その日、予定入ってる」

嘘だった。

予定はなかった。

しかし、「昔話をダラダラする時間」が、無駄に思えた。

その友人とは、それ以来、疎遠になった。

同じことが、何人かに起きた。

気づいたら、友人が減っていた。

残ったのは、「情報交換」ができる、「有益な」人だけ。

人間関係が、損益計算書になった。

第5章:崩壊の予兆

2年が経った。

私の生活は、完璧だった。

朝5時起床。完璧なルーティン。

月15冊読書。動画は週20本視聴(すべて2倍速)。

副業で月10万円稼ぐ。

筋肉もついた。体脂肪率12%。

数字上は、完璧だった。

しかし。

眠れない夜

ある夜、眠れなかった。

理由は分からない。

ベッドに横になっているが、目が冴えている。

「この時間、無駄だ」

眠れないなら、何かしなければ。

スマホを手に取る。

Kindleで本を読もうとする。

しかし、文字が頭に入ってこない。

動画を見ようとする。

しかし、内容が頭に入ってこない。

何もできない。

この「何もできない時間」が、恐怖だった。

結局、朝まで眠れなかった。

翌日、仕事中にぼんやりした。

「昨日、8時間睡眠できなかった。今日は生産性が落ちる」

この焦りが、さらに効率を下げた。

料理という無駄

ある日、彼女ができた。

マッチングアプリで知り合った女性。

3回目のデートで、彼女が言った。

「今度、私の家で手料理作るね」

「ありがとう」

彼女の家に行った。

キッチンで、彼女が料理を始めた。

1時間かけて、パスタを作っている。

私は、イライラした。

「パスタなんて、コンビニで買えば3分だ。1時間もかける意味が分からない」

しかし、口には出さなかった。

料理ができた。

「どうぞ」

食べた。

美味しかった。

しかし、私は10分で食べ終わった。

彼女は、まだ半分も食べていない。

「田村くん、早いね」

「ああ、ごめん」

「1時間かけて作った料理を、10分で消費する。これが、俺の効率だ」

しかし、その時、彼女の顔が少し曇った。

別れ

2ヶ月後、彼女と別れた。

彼女が言った。

「田村くんと一緒にいると、疲れる」

「…なんで?」

「常に、何かしてる。落ち着かない」

「…」

「デート中も、スマホ見てるし。話しててもも、上の空だし」

「…ごめん」

「謝らないで。ただ、合わないだけ」

彼女は去った。

その夜、私は一人で考えた。

「彼女との時間、効率悪かったしな。まあ、いいか」

しかし、本当はそう思っていなかった。

寂しかった。

でも、その「寂しさ」を感じる時間すら、無駄に思えた。

第6章:ある日の崩壊

そして、決定的な日が来た。

日曜日、午前10時

休日。

いつも通り、5時に起きた。

ルーティンをこなした。

10時。

さて、今日は何をしよう。

ToDoリストを見た。

  • 読書(2冊)
  • オンライン講座受講
  • 副業の作業
  • ジムで筋トレ
  • 夕方、ビジネス系のセミナー参加

予定は完璧だ。

しかし、その瞬間。

何もしたくなかった。

いや、正確には。

何もしたくないのに、何かしなければいけない、という強迫観念。

ソファに座った。

スマホを手に取った。

Kindleを開いた。

しかし、1ページも読めなかった。

文字が、記号に見えた。

YouTubeを開いた。

しかし、どの動画も、見る気が起きなかった。

「2倍速で見なきゃ」というプレッシャーだけがあった。

30分、ぼーっとスマホを見ていた。

しかし、何も見ていなかった。

ただ、スクロールしていただけ。

気づいたら、11時。

「1時間、無駄にした」

焦りが襲ってきた。

しかし、体が動かなかった。

崩壊

12時。

ToDoリスト、何も消化できていない。

「やばい。今日、何もしてない」

焦りが、パニックに変わった。

「この時間、取り戻さなきゃ」

しかし、体が動かない。

頭は「やらなきゃ」と叫んでいるのに、体がいうことを聞かない。

そして、気づいた。

「疲れた」

何に疲れたのか。

仕事?いや、今日は休日だ。

運動?いや、まだ何もしていない。

「効率的に生きること」に、疲れた。

そして、涙が出た。

理由は分からない。

ただ、涙が止まらなかった。

第7章:病院という選択

翌週、会社を休んだ。

理由は「体調不良」。

しかし、本当は、起き上がれなかった。

5時にアラームが鳴った。

しかし、止めて、二度寝した。

8時に起きた。

罪悪感が襲ってきた。

「3時間、無駄にした」

しかし、起き上がる気力がなかった。

診療所

母が心配して、電話してきた。

「健一、大丈夫?」

「…うん」

「嘘でしょ。声、変よ」

「…」

「病院、行きなさい」

母に押されて、心療内科に行った。

医者は、私の話を聞いた。

朝5時起床のこと。
月15冊読書のこと。
すべてを効率化していること。
そして、崩壊したこと。

医者は、静かに言った。

「田村さん、あなたは燃え尽きています」

「…」

「バーンアウト症候群。頑張りすぎて、心が壊れた状態です」

「でも、俺、まだ何も成し遂げてない…」

「成し遂げる必要があるんですか?」

その質問が、頭の中で反響した。

「成し遂げる必要があるんですか?」

「…」

「田村さん、あなたは何のために、効率化していたんですか?」

「…成功するため」

「成功って、何ですか?」

「…」

答えられなかった。

処方箋

医者は、診断書を書いた。

「2週間、休職してください」

「…」

「そして、何もしないでください」

「何もしない…?」

「はい。何も。スマホも見ない。本も読まない。ただ、ぼーっとしてください」

「ぼーっとする」という処方箋。

これは、私にとって最も難しい課題だった。

第8章:何もしない2週間

実家に戻った。

母は、何も聞かなかった。

ただ、「ゆっくりしなさい」と言った。

1日目:恐怖

朝、目が覚めた。

時計を見た。9時。

罪悪感が襲ってきた。

「4時間も寝坊した」

しかし、スマホは見ない。医者の指示だ。

リビングに行った。

母が、朝食を作っていた。

「おはよう。お腹すいてるでしょ」

「…うん」

母の作った朝食。味噌汁、ご飯、焼き魚。

調理時間、たぶん30分。

以前の私なら、「非効率」と思っただろう。

しかし、今は何も考えなかった。

ただ、食べた。

ゆっくり、噛んで。

味がした。

いつから、食事の「味」を感じていなかっただろう。

3日目:退屈

何もすることがない。

テレビを見た。

くだらないバラエティ番組。

以前の私なら、「時間の無駄」と思っただろう。

しかし、今は見ていた。

笑った。

いつから、理由もなく笑っていなかっただろう。

5日目:散歩

母が言った。

「ちょっと、散歩してきたら?」

近所を歩いた。

目的地はない。ただ、歩く。

「効率的な散歩ルート」など、考えなかった。

公園で、ベンチに座った。

ぼーっと、空を見た。

雲が流れていく。

いつから、空を見ていなかっただろう。

時間が、ゆっくり流れていた。

そして、気づいた。

「これが、時間か」

効率化していた時、時間は「消費するもの」だった。

しかし、今、時間は「流れるもの」だった。

10日目:気づき

ある日、母が庭で花の手入れをしていた。

「手伝おうか?」

「いいわよ、座ってて」

しかし、なんとなく隣に座った。

母は、ゆっくりと花の枯れた葉を取っている。

「お母さん、それ、何時間かかるの?」

「さあ、時間は測ってないわ」

「…」

「でもね、この時間が好きなの。花と向き合う時間」

花と、向き合う。

「効率」とは無縁の行為だ。

しかし、母の顔は、穏やかだった。

「これが、豊かさか」

第9章:復帰、そして

2週間が経った。

会社に復帰した。

変わったこと、変わらないこと

朝、5時には起きなくなった。

7時に起きる。

筋トレは、したい時だけする。

瞑想は、やめた。

読書は、読みたい本だけ読む。月に3冊くらい。

動画は、1倍速で見る。途中で飽きたら、見るのをやめる。

すべての「should(すべき)」を手放した。

しかし、完全に元に戻ったわけではない。

まだ残る焦り

時々、焦りが襲ってくる。

「このままでいいのか?」

「みんな、もっと頑張ってるのでは?」

SNSを見ると、「朝活」「読書記録」「副業で月30万円」という投稿が流れてくる。

焦る。

しかし、スマホを置く。

深呼吸する。

「俺は、俺のペースでいい」

と、自分に言い聞かせる。

ある友人との再会

久しぶりに、あの友人と飲んだ。

「田村、なんか変わったな」

「そう?」

「うん。いい意味で。余裕が出た感じ」

「…ありがとう」

「最近、何してるの?」

「特に何も」

「特に何も」

以前の私なら、この答えが恥ずかしかった。

しかし、今は違う。

「特に何もしていない」ことを、恥じなくなった。

エピローグ:効率と豊かさの間で

今、私は34歳。

あれから2年が経った。

今の私

朝、7時に起きる。
朝食は、ゆっくり食べる。
通勤中は、ぼーっとしていることもある。
仕事は、締め切りを守る程度に頑張る。
帰宅後は、特に何もしないこともある。
週末は、予定がないことも多い。

効率的か?いいえ。

でも、幸せか?多分、以前よりは。

ある日の発見

最近、新しい趣味ができた。

料理。

きっかけは、母の影響だ。

最初は下手だった。時間もかかった。

しかし、不思議と苦痛ではなかった。

むしろ、楽しかった。

「効率」を求めない作業が、こんなに心地よいとは。

先週、1時間かけてカレーを作った。

食べるのは10分で終わった。

以前の私なら、「非効率だ」と思っただろう。

しかし、今は違う。

その1時間の「プロセス」に、価値があった。

効率と豊かさ

効率は、悪ではない。

必要な時もある。

仕事で締め切りがある時。
限られた時間で何かを成し遂げたい時。

しかし、人生のすべてを効率化する必要はない。

むしろ、非効率な時間にこそ、豊かさがある。

友人とダラダラ話す時間。
意味もなく散歩する時間。
ぼーっと空を見る時間。
何も生み出さない時間。

これらは、「無駄」ではない。

これらこそが、人生だ。

最近の気づき

最近、気づいたことがある。

私が「効率化」していた時、実は何も記憶していない。

月15冊読んだ本。内容は覚えていない。

週20本見た動画。何を学んだか覚えていない。

完璧だった朝のルーティン。何のためにやっていたか覚えていない。

すべてが、消費だった。

しかし、母と庭で過ごした30分。
友人とダラダラ飲んだ2時間。
何もせずベンチで空を見た1時間。

これらは、鮮明に覚えている。

現在の葛藤

完全に「効率」から自由になったわけではない。

時々、「このままでいいのか?」と不安になる。

SNSで「成功者」を見ると、焦る。

「俺も、もっと頑張らないと…」

しかし、その時、母の言葉を思い出す。

「成し遂げる必要があるんですか?」

ある日の選択

先日、後輩から相談された。

「田村さん、朝活、どうやって続けてるんですか?」

私は、正直に答えた。

「やめた」

「え?」

「朝5時起床、やめた。疲れたから」

「でも、成功者は朝が早いって…」

「成功者の定義は、人それぞれだよ」

後輩は、不思議そうな顔をした。

「俺は、朝5時に起きて効率的に生きることで、心を壊した。それは、俺にとっては失敗だった」

「…」

「お前がやりたいなら、やればいい。でも、無理はするな」

後輩は、考え込んでいた。

最後に – 効率という暴君を飼いならす

効率は、道具だ。

しかし、私たちは道具に支配されていた。

時短家電が増えるほど、時間は減った。

ライフハックを学ぶほど、人生は窮屈になった。

最適化するほど、余白が消えた。

効率という暴君に、私たちは支配されていた。

しかし、今は違う。

私は、効率を「使う」。

しかし、効率に「使われない」。

必要な時は、効率的に。

必要ない時は、非効率的に。

そして、非効率な時間にこそ、人生がある。


今日も、私は7時に起きた。

朝食を、ゆっくり食べた。

特に何も考えていない。

これが、私の「効率的な人生」だ。

いや、違う。

これが、私の「人生」だ。

効率など、どうでもいい。


P.S. – ある日の発見

先日、本屋でふと手に取った本。

タイトルは「暇と退屈の倫理学

パラパラとめくった。

ある一文が、目に飛び込んできた。

「人間は、『退屈』から逃れるために、『忙しさ』を選ぶ。しかし、その『忙しさ』こそが、最大の退屈である」

その言葉が、胸に刺さった。

私は、退屈から逃れるために、効率を求めた。

しかし、効率的に生きることこそが、最も退屈だった。

なぜなら、そこには「余白」がなかったから。

余白のない人生は、窒息する。

その本を、買った。

家に帰って、ゆっくり読んだ。

1ページ読んで、しばらく考えた。

また1ページ読んで、また考えた。

3時間かけて、30ページしか読めなかった。

しかし、この30ページは、以前「速読」で読んだ100冊より、深く心に残った。

これが、豊かさだ。

効率ではなく、豊かさ。

私は、ようやくそれを理解した。

そして、今日も、ゆっくり生きる。

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